現代社会に悟りは不要かも
サルナートでの宿泊ホテルです。きれいなホテルでした。ホテルというか賃貸アパートのような感じでした。
インドでは、この寒いのに夜になると日本の2倍くらいの大きさの蚊が血を吸いにくるし、ヤモリや虫が床を歩いているし、ほとんどの安ホテルは、シャワーのお湯はチョロチョロとしか出ないし、お湯がすぐ冷水になってしまう。低所得層の子供さんはしつこいし、土産物屋はぼったくり値段を言ってくるし、ほんと疲れます。
配線がやや危ない状態ですが、このホテルはちゃんとお湯が出ます。
人間は昔から色々な宗教を考え出して、悟りや解脱によって苦しみから解放されようとしたのだろうが、最近になって「科学と資本主義による商業経済システム」という新しい宗教を考えついて、ほとんどの人類がその信者になったんだと思います。
この新型宗教は要するにそもそも「悟り」を必要としない。お金と科学技術で快適さを実現できるとしたら、悟りも解脱も魂も不要だし。悟りというのは人間には限界があることを知るという一種のあきらめなのだと思います。
それが医学の進歩で死も希薄になり、実際には会えない相手にもラインでチャットできて、宗教は実用的なものでは無くなり、インドの仏教の聖地さえも、昔はこういう宗教がありました、という観光エンターテイメントになっている。
誰が好き好んでインドなんかに行くのだ。日本にいたら平均的な収入があれば年中エアコンの効いた部屋で過ごせるし、都会は無菌室のように衛生的で、道で牛とぶつかることも無い。インドでさえも、もう少しすれば先進国といわれる国と同等になるだろう。
なるのだろうか?
(インド サルナート 2020年1月)
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