スジャータ村

 

何年間も苦行を続けてミイラのようになったブッダ師にミルク粥を差し出すスジャータ嬢。苦行仲間からは、若い女性からおいしい食べ物をもらうなんてけしからん。と見放されたブッダ師はこの後にブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開くことになります。

つまり「悟りなんてどうでもええねん」と悟った時に悟りの境地が訪れるのではないでしょうか。生きてる事を忘れるほど、我を忘れるほど一生懸命になっている時こそが本当に生きている時間ともいえるので、すべての生命は初めから悟った状態で解放された魂なのです。それに疑問を持ってしまった人間が宗教という精神安定剤を作り出してしまったのかもしれません。

(インド ブッダガヤ 2020-01)  


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